文章を書くにいたって、あまたが考えていること。

ある人に告白されちゃったから、その返事をしておこうと思った。だから書いてみるのだ。


基本的に私は長文は書きません。面倒だから。書けないわけでもないのですが、長文を書いて何か得することがあるんですかね?損得の問題じゃあない?いやぁ、それはあなたが"読み違えている"んじゃあないですかなぁ。
長文ってのはハッキリ言って、思っていることを思っているように書いていないって思ってます。読書感想文みたいに、面白かったらでかでかと面白いって書けばいいものを細々かかにゃあならんのはつまらないものです。わざわざ説明がいるんですか。
説明がないといかんでしょう?それもちがうなぁ。長文はそういう"主観的に見て無駄"な要素を持って"客観的に納得"できることを表しているわけですが、その"無駄さ"加減によっちゃあ何を書いているのか・何を書きたかったのか、自分でも明確にはならんのですよ。むしろ「やった!こんだけのことを書き表せたぞ!」っていう自負心がちょっぴり現われて、文章そのものが単なる長い説明文になるというか。
#完璧な文章はないとか、そんなことはいいませんけど。


まあ、長文は客観的要素が強いってことで(もうちょっというと、主観性が客観性に圧倒されてしまっている状況にあるっていうこと)無味乾燥になるのが嫌なので、私は短文でちょっと皮肉を添えて、主観性に満ち溢れた日記を書くわけです。
ちなみに、私が長文を書くときは細々とした説明はほとんど書きません。注釈って必要であれば見るものでしょ?


書き忘れていましたけど、"読み違えている"っていうのは、(客観性の強い)長文を読んでもらってもらうコメントはこれまた理路整然としたつまらないコメントなんですね。確かにそんなコメントがほしかったといえばほしかったといえるのですけど。
逆に主観的に書いた文章は、自分がどう見られているのかっていうのが手にとって分かるわけですよ。というよりは、自分の感性は他人の感性とどう違うのかっていう比較ができるといえばいいのかな。
長文は情報交換(理論的な何か)に優れているのでしょうけど、そんなの他人様のをずっと見ていけば書かないでもいいと思ってます。逆に自分がどういう位置に立っているのかっていうのを知ることができるってことで、私は長文を書きません。客観的すぎてるまらないから。


#眠いから何書いているのかよくわからなくなったので、もう書かないー。
#しかし追記。
ちなみに、長文を書かないようにしているのは、コミュニケーションが取りやすいからです。
んでもって、長文はもっぱらmixiにしか書かないのです。
コミュニケーション取ってないじゃないかって?だってニュースをネタにした、批評日記しか書かないんですもんー。